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中居正広が5月16日のラジオで明かした胸の内 [トレンド]



SMAPの中居正広がニッポン放送のラジオ番組『中居正広のSome girls’ SMAP』で、2月19日に亡くなった父・正志さんの思い出を2週間に渡り、振り返っていました。

 ラジオで5月9日に父親が亡くなった事を伝えたところ、知り合いなどに

「周りでかなりの話題になっている」

ということを知らされたそうです。中居正広はその事を全然気にしていなかったそうで、父親が亡くなった事を話して、こんなに反響があるものであると思っていなかったそうです。

「そんなつもりじゃなかったのに。俺はもう大丈夫だから」

とラジオで述べています。


休日に料理を作ってあげたことを明かし、

「最後の料理は俺が作ったカレー。たぶん、味覚が分からなかったけど、『おいしい』って言ってくれた。本当にいいお父さんだったな」

と中居正広はガンのせいで味がわからないとわかっていても、そういう父親の優しさ触れたそうです。


「今にして思えば、昨年の夏ごろ、リスナーに『簡単に作れるレシピを教えて』と呼びかけていたんです。その後の女性誌の記事などを読みますと、あれは父親に手作りの料理を食べさせてあげるためだったんですね」

とラジオで語っている通り、父親想いが伝わってきます。

ラジオの中で、父親に今日でなきゃダメだと、ドライブに連れて行く話があります。

とても感動しますよ。

『僕たちには何ができるのかなって。亡くなる10日くらい前に、「藤沢に行こう」と。僕の生まれ育ったところ。藤沢に行って、生まれ育ったところを回ろう、と。

鵠沼と辻堂に行こう、と。それでこれはウチの会社にも助けてもらいまして。「ヒロちゃん、そろそろドライブでも2人でしたいな」ってメールは来てたのよ。俺はその日は無理だったのかな。「おお、良いね。どういうコースが良いか考えといてな」ってメール送って。

そしたら、「なんだ、今日じゃないのか?」って。「今日じゃないと、ダメなような気がするな」って。「行けるよ、行けるよ」って。2人では、やっぱり行かなかったのかな。誰かしらのチビがいたりとか。

地元に行こうってことで。ウチの会社の移動車って、でっかいワンボックスカーみたいなんで。それを2台。パパは、フルフラットで。毛布で包んで。もうね、包まれすぎて熱いんじゃないかってくらい包んで。

お父さん、その時期から…1月中旬くらいからずっと車椅子だったんで。最初、鵠沼行ったのかな。僕の小さい頃のアルバムを持ってって。そしたら、その住んでるところで、「野球をやったところだ」とか。壁当てだとか。「俺、ここで素振りやってさ」ってところを全部、再現して。

「ここ、親父覚えてるか?」って。写真と照らし合わせながら、そこに立ったりして。「ここで死ぬほどやったなぁ」って。親父もちょっと興奮してるのかな。

でも、その時、外出許可で「5時間しかもちません」って言われたのよ。呼吸が多分、もたなくなるって。だから、12時に出て、1時半に着いて。2時間はいれるって。

生まれ育ったところに行って。それがまぁ、楽しかったかな。お父さんも楽しかったんじゃないかな、アレ。「お前、ここでケンカしてさ」みたいな話してて。「俺は覚えてねぇよ。野球しか覚えてねぇよ」って。

「ここで思い切り親父が打って、あそこのおばちゃんの家に入れちゃってさ。親父が入れたのに、俺がとりに行って、俺が怒られてさ。『パパ、パパ』って言ったのに、親父来てくんなかったの、俺、スゲェ覚えてるよ」って言って、大笑いしてたけど。

「じゃあ、次、辻堂行こうか」って、辻堂に行って。「ここで酔っ払ってさ、血だらけで帰ってきたよな」って。ゆるい坂道で、下ったところでウチなんだけど、金網みたいなところがあって、そこにガガガっって当たってきて、血まみれで帰ってきて。「お父さん、どうしたの?」「分かんない。気がついたら、血が出てて」って。次の日になったら覚えてないって。

それから神社行って。行ったら、パパが「ギブだ」って。「病院戻してくれ」って。その時もね、「病院に戻してくれ」って言ったの始めて聞いたのかな。「家に帰りたい」じゃなくて、「病院に戻してくれ」って。相当苦しかったんじゃないかなって。』

(記事を抜粋)




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